「当初、フィニッシングスクールと聞いて、大変に厳しく、お上品で、私など全く向いてないのではないかと緊張しておりました。」
YHさん 50代男性 広告代理店勤務 神奈川県/ベーシッククラス アドバンスクラス 筆文字入門 遠州流茶道
丹生谷先生の教室に通い始めて十年になります。筆文字、アドバンスコースを男性版にアレンジして頂いたものを受講、
現在は遠州流茶道の稽古に通っております。
なかなか時間がとれず、不定期になりがち、寝不足の日も多く先生にはご迷惑をおかけしておりますが、どんな講義の時でも
終わって田園調布駅に向って坂道を歩く時には、心も体も軽くなっています。
先生から、不思議なエネルギーと元気を頂いております。
当初、フィニッシングスクールと聞いて、大変に厳しく、お上品で、私など全く向いてないのではないかと緊張しておりました。
大体、男の私が「フィニッシングスクール」で何を習うのだ?と自問することも多かったのですが、何より先生の美しく、
きめの細かく知的で、可憐でユーモアにあふれる手紙を拝読するにつけ、「男でも、こういう品格のあるものを書いてみたいものだ」と
思ったのでした。
先生の筆文字講義は、非常にユニークです。まず線の入っていない真っ白い紙に文字を書く面白さを学びました。
線の入ったノートで育ってきた私には、文字を白い紙に空間配置するレイアウトの感覚が面白く感じられました。
文字のひとつひとつも、例えば「ふ」という文字は、「胡座をかいて座っている男性の後ろ姿」と習います。
そう思って書いてみると、自分の文字があれよあれよと変わっていきました。
墨を擦り、筆も文字を書くこと自体は、日頃練習もしないせいで、すぐには上達しません。それでも、街を歩き、本を開いて
筆で書かれた文字にふっと出会ったとき「これは、うまい」「これは、好きだ」と、判断基準のようなものは芽生えてきました。
同じことは、生け花を見ても、女性の着物姿を見ても、顔立ちと服との色合いを眺めても、好悪や善し悪しをはかるものさしが
できたように感じています。
私は、どうにも不器用で、あれこれ習ったのに未だ箸の持ち方はおかしいし、背筋を伸ばして座ろうと努力はしてもすぐにだらけて
しまいます。先生は、皆さんとともにパーティで大笑いし(時に、もんのすごい話題にもなる…)、酔われてシャンソンを歌い始めても、
一瞬も乱れることなく背筋が伸び、立ち、座り、歩く姿が格好いい。二年間おつきあいして、不機嫌な時を見たことがありません。
これは、驚異であると同時に、是非とも学びたい点です。
フランスの詩人ボードレイルは、「一瞬であっても至高のものであろうと望むこと。鏡の前で生き、かつ、寝ること」と書きました。
先生もまた、一瞬の隙もなく美しく、明るく、かっこよく、人に元気を分け与えてくれています。
この教室で学んでいるのは、教科の内容以上に、先生の生き方なんだと確信しています。