【丹生谷真美のフィニッシングスクール】が目指すもの

 

フィニッシングスクールとは「仕上げの学校」という意味です。

二十世紀前半のヨーロッパに生まれた上流家庭の子女の教養の「仕上げ」の場でした。

かつての日本では「花嫁学校」と翻訳されていました。

女性が大学教育を受けることがなかった時代に、よき家庭婦人となるために必要な知識や教養を身につけ、

仕上げとすることが目的でした。

 

1986年に日本初のフィニッシングスクール開校にあたり、企画を任され、校長に就任した際、

「新しい時代のフィニッシングスクール」という意識が念頭にありました。

フィニッシングスクールが全盛であった時代とは女性の生き方に大きな変化があり、

時代の需要に応えた内容のフィニッシングスクールにしたいと考えたからです。

 

広い視野にたっての指導内容にしたいと志しつつも、

企業の一プロジェクトとしてのスクールであり、その責任者という立場から、

時代の流れや風潮を意識せざるを得ず

振り返れば西洋に傾き、また表面的な内容に偏っていたかもしれません。

 

1992年に独立後は「事業」という立場からではなく

洗練された大人の日本女性として身につけたい「教養」とは何かを

教育者の立場から、より深く、より純粋に考えることができるようになりました。

時代の流れよりも、自分自身が一日本女性として

「日本に根ざした日本のフィニッシングスクール」の必要性を感じておりました。

 

教養は学校教育の中では到底身につくものでありません。

さりとて、社会に出れば磨かれるというものでもありません。

知性、感性、品性をそなえた教養ある人を目指したくとも、情報が氾濫する中で、

自分ひとりでは360度、どちらを向きどこから始めていいのかわからない、という現状があります。

 

西洋文化を学び、経験し、その上で日本文化を学び、経験してきた自分だからこそ

お教えできることがあり、また自分にしかお教えできないことがある。

このことが私の教室の原点となりました。

 

教室を開設した時、「フィニッシングスクール」以上の名称が思い当たらず、

スクールと呼ぶよりはサロンに近いと考え、「フィニッシングサロン」という名称を創りました。

この名称は私が苦心して考えだした造語ですので、それまでには存在しておりませんし、

英語にはこのような名称はありません。

 

その後、フィニッシングサロンと称する教室が少しずつ現れるようになりました。

人と同じことをしたり、停滞することは望ましくないと考え、

2002年、開設から10を機に、これまでの名称「丹生谷真美のフィニッシングサロン」を

「丹生谷真美のフィニッシングスクール」と改めました。

 

これからもフィニッシングスクール、或いはフィニッシングサロンを称する

学校や教室は増えていくことでしょう。

私の提唱してきた価値が見直されていることと心強く思います。

 

そんな中で、「日本に根ざした日本のフィニッシングスクール」という原点に立ち返り、

他の教室と趣旨や内容や質を同じくするものとの印象を免れるため、

「フィニッシングスクール」という名称へのこだわりを捨てて

今はまた次なる一歩として、新たな名称を模索しております。

 

「フィニッシュ(仕上げ)」というよりは、むしろ新しい一歩を踏み出す始まりの場、常々そう考えております。

 

教養を磨くことはは当然、女性だけのことではありません。

男性の入門もお受けいたしております。

他にはない、奥深く、充実した内容こそが、「丹生谷真美のフィニッシングスクール」の本領と自負しております。